挨拶をしない人に読んでほしい話

今回のテーマは「あいさつ」です。

あいさつは「良いことなのか、悪いことなのか」と問われれば、悪いことだと答える人はそうはいない思います。

大抵の人が「あいさつは大切」と答えるのではないでしょうか。

では「なんで大切なの?」といたいけな背丈がまだ腰の高さほどの少女にまっすぐな瞳で見上げられたら、あなたは大人として、人生の先輩としてどう返しますか?

その返しを聞いた少女の瞳をキラキラさせることがあなたにできますか?

まぁそんなことを思考実験しながら足元を見つめてみるのもたまにはいいかもしれません。

では始めます。

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あいさつは『社会と自分を結び付けるもの』

近所の公園にはいつも夕方になると中高生の集団がたむろしています。

そのなかのリーダー格のA君は小学生のころは活発で明るく大人に会うといつも元気よく「おはようございます!」「こんにちは!」と気持ちのいいあいさつをする子でした。

ところが中学生に入学したころから少し様子が変になりました。

恰好も少しずつ変わり付き合う仲間も変わっていきました。最近では道で顔を合わせてもこちらの方に顔を向けようともしません。もちろん小学生のころの元気で周囲を明るくするあいさつも消えていました。

 

ある日、仕事終わりに自宅へ向かって歩いていると、向こうからA君が一人でこっちへ向かって歩いています。いつものようにどうせ素通りだろうなと思っていると突然「『ジリツ』って何?」と聞いてきました。

あなたならそこで何と返してあげますか。

あなたの応え方しだいではA君の今後が大きく変わる可能性もあります。これはチャンスです。

なぜなら自分のほうから疑問をもち、それを解決しようとしているからです。前に向かって歩こうとしているからです。

説明がうまい人もいればそうではない人もいます。ここでいう「うまい」というのは心に刺さるという意味です。

いくら理路整然と言葉を流していても話し手によっては聞き手の心にまったく届かないときもあります。

他方で、話している内容は支離滅裂でけっして論理的ではない話し方でも話し手によっては聞き手を引きつけその心をグッとわしづかみにすることもあります。

 

この違いはいったい何からきているのでしょうか。

それはその人自身の生き方からくるものです。

その人がたとえ不器用でも、自分のなかで自分自身と交わした「約束」をどれだけ守り続けようと必死に過ごしているかです。

そういう生き方が聞き手に届いて、聞き手とのあいだに心地よい一体感が醸成されるのです。

一方で、周囲の目ばかり気にして何の信念ももたずに、強い者にだけ媚びへつらいごまかしの自己中心的な生き方をしていると、どんなに表面的にカタチを整えていても仮面の下からはチラチラと内面の薄っぺらさが見えます。

とくに思春期の感性が鋭く研ぎ澄まされている中高生には、すぐに見破られてしまいます。

 

さて、以上を踏まえたうえであなたならA君の問いへどのような返しをしますか。

これが絶対に正しくてどんな人にも必ず響く言葉は存在しないと思います。

しかし人を動かす「魔法のことば」ならあります。

魔法のことばとは聞き手と一体感をもたらすものです。残念ながら、魔法のことばのマニュアルはありません。

発することばが魔法のことばになるかどうかは、それを発した人がどれほど真剣に生きて考え抜いているかにかかっています。

 

私ならA君に話しかけられたうれしさを全身いっぱいの発しながら笑顔でこう返します。

「『ジリツ』ってどのジリツ?2つあるよ」。

「1つは『自分で立つ』って書くほう」。「もう1つは『自分を律する』って書くほう。『律する』ってわかる?」「法律の『律』だよ」。

「自立」とは「自分の力だけで自分と社会とを結びつける能力のこと」、

「自律」とは「自分で自分をコントロールすること」だよ。

「そして、社会と自分を結び付けるには自分から『あいさつ』をしたほうがいいよ。」

「あいさつは早い者勝ちだよ。ほらっA君は小学生のころは上手にあいさつできていたでしょ。」

「A君のあいさつで周りの人はみんな明るくなれていたんだよ」。

 

上記のような感じです。

あいさつをすることで、相手・社会との結びつけることができます。

そして、あいさつされて気を悪くする人はいません。逆にあいさつをしない人に気を悪くする人がいます。

今あいさつをしていない人は、自分がどう見られているのかも考え行動していったほうが良いです。

『あいさつ』の他に大切なこと

「あいさつ」とは相手に「私はあなたに敵意はありません」という意思を伝える合図のことです。これは古今東西普遍です。

鑑別所に入る子たちがいます。そういう子たちのほぼ80%くらいに共通するのは「あいさつ」ができないそうです。「あいさつ」を相手からされたら話もしやすくなります。

コミュニケーションの出発点が「あいさつ」です。だから「あいさつ」は早い者勝ちなのです。

それから「返事」もたいせつです。会話のラリーは自分の言動で終わらせるように私はしています。相手を安心させるためです。相手にあなたの意思はきちんと届きましたよという合図です。

3つ目の「あとかたづけ」も重要です。具体的な「モノ」の場合は「モノ」を元通りにきちんと戻します。それは次に使う人のことを考えてのことです。

もうひとつは自分の代わりにあとかたづけをすることになる「だれか」への配慮です。

それから「あとかたづけ」は「コト」に関するときもあります。

それは「自分の言動」です。人が「言葉を発する」「行動をする」。この2つが「言動」です。それらは必ずだれかに影響を及ぼします。

その影響はこっちが認知できるときもあれば認知できないときもあります。

ですからもしこっちが認知できなくても影響が及んだ可能性のある人には必ずフォローを入れます。

もし「自分の言動」の「あとかたづけ」をせずにその場を去り、残された人たちのあいだで「自分の言動」の「あとかたづけ」をしていたらそれは「無責任」です。

「自分がされてイヤなことは人にしてはいけないよ」とどこかでだれかに教わったことがみんなあるはずです。それに反していることになります。逆に「自分がしてもらって『うれしい』と思ったこと。

『助かったな』と感じたこと。そういうことを人に与えられる側になろう」と考えてみるのはいかがでしょうか。

おわりに

いかがでしたか。内容は小学生の道徳の時間と同程度のものです。

なぜそれをあえて紹介したかというと、これらが人間の基礎・基本の1つだからです。

 

基礎・基本を経て「応用」という発想がありますが、誤解をしている人も多いと思います。

誤解とは「基礎・基本=かんたん」「応用=むずかしい」。

この誤解をもったまま年齢を重ねると「基礎・基本=こども」「応用=おとな」とさらなる迷路に突き進むことになります。

正しくは「基礎・基本」は「あらゆることの土台となるたいせつなこと」という意味です。

それがたまたま「かんたん」なこともありますが、必ずしもそうでないことは、現実社会を生きていればだれでも実感していることだと思います。

そういう意味では「応用」は「基礎・基本」がないとできない、というのは真理とよんでいいかもしれません。「土台」がないのですから当然です。

本日はここまでにしたいと思います。明日から少し「あいさつ」を意識してみてはいかがでしょうか。

 

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